平和ボケって幸せだな。原爆記念日に思うこと。
こんにちは。
ヨウです。
8月6日。
今日は広島に原爆が投下された日ですね。
僕は子供の頃に広島県に住んでいたことがあります。
小学生の頃なんで、もう30年以上前でしょうか。
当時住んでいたのは原爆が投下された広島市からは100キロ以上も離れたド田舎。
正直言って、広島市は遠すぎてまったく縁もゆかりもありません。
しかし、そこは同じ広島県。
やはり原爆に関しての教育やプログラムは多かった覚えがあります。
小学校の体育館で”はだしのゲン”が上映されたり。
原爆についての授業が頻繁にあったり。
子供ながらに原爆の悲惨さを考えさせられた覚えがあります。
もちろん8月6日はテレビもラジオも新聞も原爆一色でした。
その後、東京に引っ越してきました。
広島ほどではないですが、当時は東京でも8月6日はメディアは原爆一色だった気がします。
平和記念公園の式典も昔は結構長くライブ中継してたはず。
けど、最近はそうでもないですね。
NHK以外は、さらっとニュースで触れるだけになってる感じ。
こうやって歴史って風化していくんでしょうか。
今年は原爆投下から75年だそう。
75年って聞くとえらく遠いことのように感じます。
当時の映像を見ていても、白黒だし遠い世界のことのよう。
なかなか現実感が伴わないですね。
けどね。
75年前って、江戸時代や平安時代じゃない。
普通に車や電車が走ってるし、電気やガスもある。
朝起きて学校や会社に行って、夕方には帰ってきて家族で晩御飯。
たぶん今の僕らとそんなに違わない日々があったはず。
当時の広島市の人口は35万人ほどだそう。
そして、被爆から4か月以内にそのうち9~16万5千人が亡くなったと。
ネットの情報だとそうあります。
しかし、数字だけ聞いてもやはり現実感が伴わない。
けどね。
僕が今住んでる地方都市の人口は30万人ほど。
たぶん当時の広島市と同じくらいの規模です。
そして、そのうち3分の1から2分の1が亡くなった。
これって信じられないことですよね。
そんな風に考えていくと。
75年前に起きたことは。
原爆投下は8時15分。
この時間、普段なら僕はもう仕事中。
同僚とくだらない話をしながらマウスを動かしてる。
その時、窓の外から閃光が。
はっと気が付くと、室内はめちゃくちゃ。
さっきまで話していた同僚は炭のようになっている。
窓の外は瓦礫の山で砂漠のよう。
そこら中に性別も分からないような死体が転がっている。
こんなことが75年前に現実にあった。
想像を絶する世界です。
平和ボケしてるってよく言われる日本。
でも、平和ボケできるなんて幸せですよね。
できれば死ぬまで平和ボケボケで過ごしたいです。
戦争体験が風化していくのは、それだけ平和だっていう証拠。
それはそれで仕方ないとは思います。
しかし、人間は喉元過ぎれば熱さ忘れる生き物。
あまり平和ボケが続くとそのうち変な考えの人がでてきそう。
時々戦争の悲惨さや愚かさを思い出して反面教師としていかなくちゃですね。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました。